
「ローマの軛(くびき)」 note.com

「ローマの軛と片務的な政(まつりごと)」 note.com
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★『ダ・ヴィンチの罠 真贋力』からのつづきです!
『創世記』22章に出てくる『神がアブラハムを試したとされる「イサクの生け贄事件」(日本語では「イサクの燔祭」「イサク奉献」とも呼ばれる)出来事』に関して物申せば、イサクはPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患ってしまったとしても何の不思議もないと言えます!

「PTSD」(心的外傷後ストレス障害)daag.shoreline.edu
このエピソードを知らない人もいるかもしれないので、簡単に概略を紹介すると、
● 神はアブラハムに「あなたの子、ひとり子イサクをモリヤの山で燔祭としてささげよ」と命じます。
● アブラハムは朝早く出発し、イサクと若者たちと共に山へと向かいます。
● 山頂で祭壇を築き、イサクを縛って載せ、刃物を振り上げた瞬間、主の使いが「その子に手を下すな」と制止します。
● その代わりとして、角(つの)をやぶに引っかけた雄羊が与えられ、その羊がイサクの代わりに捧げられます。
この出来事を通して、神はアブラハムの信仰を「試みた」と聖書は語るわけですが、概略とは言え、あまりにも簡単に説明し過ぎましたので、もう少しだけ詳しい内容について「AI」に聞いてみることにしました。
- 神の命令: 神はアブラハムの信仰を試すため、「あなたの愛するひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭(焼き尽くす生け贄)として捧げよ」と命じました。
- モリヤの山へ: アブラハムは神の言葉に従い、イサクとふたりの若者を連れて旅立ちました。山に着くと、イサクに薪を背負わせ、自らは火と刃物を手に山を登りました。イサクが「生け贄の羊はどこですか?」と尋ねると、アブラハムは「神が備えてくださる」と答えました。
- 試練の成就と救済: アブラハムは祭壇を築き、イサクを縛ってその上に寝かせました。そしてナイフを振り上げ、まさに息子を屠ろうとしたその瞬間、天から神の使い(御使い)が呼び止めました。「その子に手を下してはならない。あなたが神を畏れる者であることがわかったからだ」。
- 代わりの羊: アブラハムが辺りを見ると、角を藪に引っ掛けた一頭の雄羊がいました。彼はその羊をイサクの代わりに神への燔祭として捧げました。
さて、この逸話において小生が感じたことは、
少なくとも、イサクの心になかに父アブラハムに対して精神的な拒否反応や心因的に拒絶する兆候が表われないものなのかと心配になってしまったのです。
いや、むしろ本音を言ってしまえば、「PTSD」などを発症しない方がおかしいと思われるわけですよね!
「PTSD」(心的外傷後ストレス障害)grandcanyonpsych.com
ちなみに、「PTSD」とは「心的外傷後ストレス障害」といって、命の危険を感じるような強いショック体験や、とてもつらい出来事の後にあらわれる心の障害を言います。

「PTSD」(心的外傷後ストレス障害) h-navi.jp
ところで、
この物語は歴史的に、強い批判や問いかけの対象になってきました。
まず、言えることは神が子どもの犠牲を強いるかたちで命じることの「倫理性」が問われたことです。
続いて、「アブラハムの従順さをどのように考えるか?」が、問題となりました。
果たして、それを「信仰」と呼べるのか?、それとも、ただの「盲従」なのか? が、問われたわけです。
そして、冒頭に明記した「イサクの心情やトラウマをどう考えるか?」ですね!
哲学や神学では、この物語を通して「信仰と道徳の衝突」「神の命令と人間の良心」などといったテーマでたびたび議論されてきたようですが、現代の多くの解説では、歴史的事実というよりも「物語が伝えようとしていること」に焦点を当てて読まれることが多いようです。
たとえば、
「理解不能な命令」にどう向き合うかを通して、信仰の成熟や葛藤を描く物語としてとか、絶対だと思っていた「自己のよりどころ」(イサクの将来や一族の長としての責任や責務)さえ手放す覚悟を問う物語と言ったような読み方になるのでしょうか?

さて、これを「契約」だとするのであれば、理想的には片務的(片務性)ではなく、双務的(双務性)でなければなりませんが、この行為が「アブラハム契約」における前提条件になっていたとすると、それは限りなく片務的(片務性)あると言わざるを得ません。
「アブラハム契約」自体は、神がアブラハムと結んだ無条件の契約であり、神の側から一方的に結ばれた約束であって、人間の不信仰や失敗によって破棄されることはない片面(片務的・一方的)契約とされています。
そうであるにもかかわらず、神は理不尽にもアブラハムに生け贄としてイサクを要求したのです。
たとえそれが神の命令であり、神が我々人間をつくった第一原因者(動かすもの(原因)と動かされるもの(結果)の関係において、他によって動かされることがなく、他を動かす「不動の第一動者」をいい、これを神であるとする)であったとしても ・・・ です。
しかも、しかも、ですよ!
同じように、族長時代からモーセの時代にかけても、性懲りもなく『ヨブ記』に登場する主人公のヨブに対して、彼の信仰の度合いや深さを確認するかのように悪魔(サタン)にそれを試させているのですから、もはや「何をかいわんや」なわけです!

これらの逸話は『旧約聖書』に記載されている物語ですが、いずれにしても、間尺に合わないのが『聖書』という代物であって、特にそれが顕著なのが、四福音書をはじめ、使徒言行録、パウロ書簡、ヨハネの黙示録などの『新約聖書』27巻でしょうね!?
とにかくも、『聖書』にはウソが多く、信頼に足る書物ではありませんが、その影響力だけは半端なく強大であり、特に紀元後の人類は常に『聖書』の文言に右往左往させられてきたのです。
そして、現代はまさに「AI」を駆使した『偽情報』全盛の時代に突入しています。
次回では、そんな『偽情報』における混乱の顛末をパウロの主導による救世主を創作するための「イエス・キリスト計画」と絡めて考察してみたいと考えています。
むむむ! 「救世主(メシア)」➡「神」の創造ですか?
この男は、 まったく、何も、わかってませんな!?
パウロによる遠大なる神の創造計画だったの?

いや、自己顕示欲や支配欲ではない宗教的な野望じゃな!

でも、「キリスト教」って、イエスを神として証しする宗教でしょ!?
そうじゃよ、「福音を世界に広げる」野望じゃ?
ええっ、

それには異邦人への布教が欠かせないわね!

だからこそ、サウロからパウロに改名したんじゃよ!?

過去において、迫害者であったという負い目を「異邦人伝道」に利用したんじゃ!
なんでやねん!

迫害者サウロから回心し、各地に共同体をつくった! う~む (^▽^;)(^^ゞ 
「核の冬の証拠はない」 gigazine.net
… to be continued !!
「聖書は『沈黙』を続ける神の言葉なのか?」 www.jw.org 
「イエス・キリスト計画」の行方 teatime365.hatenablog.com 
『時間との戦いPART-1』 kazuki1026.hatenablog.com
「夜空の天の川を背景に岩の上に立つ人」(Getty Images) forbesjapan.com
宇宙に存在するのは、地球人だけなのだろうか(Getty Images)forbesjapan.com 
コンタクト (Credit- Kendall Hoopes from Pexels)sorae.info 
「なんだかなぁ!」 gigazine.net & spaceshipearth.jp
『最後の晩餐』ヨハネ 『岩窟の聖母』マリア
マグダラのマリア 
『時間との戦いPART-2』 kazuki1026.hatenablog.com

★ ダ・ヴィンチの推理は続きます。





