
『再構成』のイメージ(パート1)kano.arkoak.com

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『再構成』の完成イメージ kano.arkoak.com

生と死と復活のはざま kazuki1026.hatenablog.com
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★『ダ・ヴィンチの罠 虚構劇』からのつづきです!
ステファノは、新約聖書『使徒行伝(使徒言行録)』に登場する初代教会の信徒で、貧しい人への配慮や十二使徒(十二弟子)たちを支えるために選ばれた7人の「執事」のうちのひとりでもありました。
彼は、信仰と知恵に満ちた人物として描かれ、キリスト教における「最初の殉教者=聖ステファノ」として特別に記憶されているようです。
ステファノは、公の場でイエスをキリスト(救世主)として証明するために、『旧約聖書』の歴史をたどりながら神への不従順を指摘する説教を語りました。
その言葉はユダヤ教の宗教指導者たちを激しく怒らせ、サンヘドリン(最高法院)において裁判のような場面に立たされることになったのです。
怒りに燃えた人々は、ステファノを町の外に引きずり出し、石打ちの刑で殺してしましいました。これは当時のユダヤ社会で行われていた死刑方法のひとつです。

聖ステファノの殉教、フアン・デ・フアネス作、プラド美術館所蔵 fundacioncarf.org
この処刑で注目して欲しいのは、決定に賛成したサウロ(のちの使徒パウロ)が、刑の執行者たちの着物の番していたということです。(画像左上にいる人物)
その最期に際してステファノは、天が開き、神の栄光と、その右に立つイエスを見たと言い、さらに自分を殺す人たちのために赦しを祈りながら息を引き取ったと記録されています。
ステファノの最期の祈りは、十字架上で自分を殺す者の赦しを願ったイエスの祈りと重ねて理解されているようですね。

「この罪を彼らに負わせないでください」という祈りは、暴力ではなく赦しで応える生き方の象徴として語られているようですが、ここ『ダ・ヴィンチの罠』ではそうは捉えていません。
彼の殉教をきっかけに、エルサレムの教会には激しい迫害が起こり、信徒たちは各地に散らされましたが、その中でかえって福音が広がっていったと説明されます。
要するに、それはこういうことなのです。
ステファノの殉教の直後から、エルサレム教会には本格的な迫害が起こり、多くの信徒がユダヤとサマリア一帯に散らされたと『使徒行伝(使徒言行録)』は描きます。

『使徒行伝』世界宣教のはじまり www.newlifeministries.jp
これが、エルサレムに集中していた共同体が地方へと広がる決定的な転機となり、その結果として、福音は「エルサレムの外」に出て行き、ユダヤ人以外の地域や人々へと伝えられ、異邦人伝道への足掛かりとなっていくのでした。
こうしてステファノの殉教は悲劇であると同時に、宣教の新しいステージを開いた出来事として理解されていくわけですね。
ところで、

パウロ(サウロ)の肖像
ステファノを石打ちにしたその場には、後に使徒パウロとなるサウロが立ち会っており、彼はこの出来事を支持する立場にいたと記されていますよね。
ステファノが自分を迫害する人々のために祈りながら死んでいったことは、後にサウロが復活のキリストと出会い回心していく過程結びつけて語られますが、そこには誤解があって、多くの伝統的な解釈では、ステファノの赦しの祈りが、サウロの心に「とげ」のように残り、パウロとしての回心と宣教者としての歩みに深く影響したと考えられていますが、とんでもない誤りであることを申し添えておきたいと思います。
ステファノの殉教は、初代教会に「殉教とは何か」というひとつの典型的なイメージを与えました。

ステファノの殉教 www.lets-bible.com
神への信頼、キリストへの証し、敵への赦しの祈りという三つが、後の殉教者理解の原型となり、多くの信徒が彼の姿を模範として受け止めていくわけです。
同時に、殉教は単なる敗北ではなく、神が人の心を変え、教会を成長させる「種」のような出来事だという理解が育ちました。
そこから、迫害と教会の成長を結びつける神学的な見方が形成されていったというわけですね。
ステファノがそもそも「七人」の奉仕者として選ばれた背景には、教会内部の不満や不公平という問題がありました。
この経緯は、初代教会が理想的な共同体でありながらも、人間的な対立や課題を抱えていたことを示し、同時にそれに対処するための新しい奉仕の役割や体制が整えられていく過程を示しているようでもあります。
その意味で、ステファノの殉教物語は、迫害による外側への広がりだけでなく、教会内部の成熟と整えられていくプロセスを描く物語としても読まれているのです。
ステファノ殉教の歴史的な信頼性を考えるとき、次のように分けて考えると整理しやすいのかもしれません。
殉教そのものの事実性と、『使徒行伝(使徒言行録)』が描く細部の歴史性という二つです。
① ステファノという人物と、石打ちによる殉教が本当にあったのかどうか?
② 裁判の場面における長い説教や、天が開けてキリストを見た描写などが、どこまで「そのままの出来事」であったのか?
『使徒行伝(使徒言行録)』による記述は、エルサレムのユダヤ教当局とイエスの弟子たちとの緊張関係の中で、ある信徒が石打ちで殺されるという筋立てになっているので、当時の社会状況から見ても「不自然ではない」と多くの研究者は考えます。
ユダヤ法に基づく石打ちは現実に行われており、宗教的冒涜と見なされた者が暴徒的、あるいは半公式的に殺されるというケースは十二分にあり得る話だからです。
また、『使徒行伝(使徒言行録)』がそれほど古くない時期に書かれ、エルサレム教会の記憶がまだ生きているうちに編集されたと見なされていることからも「キリスト教の最初期に殉教した信徒ステファノがいた」という大枠は、初代教会の実際の記憶を反映しているとみる立場が主流です。

その一方で、裁判の場面における長い説教の全文や、天が開いて栄光のキリストを見たという描写は、史実の出来事がそのまま逐語的に録音再生されているというよりも、著者ルカの神学や『旧約聖書』の理解を強く反映した「再構成」と考えられます。
ステファノの説教は、旧約の歴史をたどってイスラエルの不従順を指摘し、神殿批判とイエス証言へと至る典型的な構成であり、ルカ文書全体の神学とよく響き合っていました。
殉教時の「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」「この罪を彼らに負わせないでください」という言葉は、福音書のイエスの最期の祈りを意識した形で配置されており、文学的・神学的表現の要素が強いと見られます。
- そのため、多くの歴史批評的研究では、
出来事の核心、すなわち「ステファノという奉仕者が宗教的対立の中で石打ちにより殉教した」という枠組みは歴史的記憶に根ざすが、説教内容の詳細やビジョンの描写は、著者による神学的・物語的整形が相当程度加わっている、という二層構造として理解されます。 - 他の使徒や人物の殉教伝承は、二世紀以降に書かれた外典や伝説に依拠している場合が多く、史実性により強い疑問符がつきまといます。
-
それに比べると、ステファノの殉教は『新約聖書』の中で最も古く、かつ詳しく記された殉教物語であり、「殉教そのものの事実性」という点では比較的高い信頼性を持つと評価されやすい一方で、詳細な場面描写は神学的意図が濃い象徴的物語として読むべきだと思われます。
- 畢竟するに、
- 「ステファノが初期教会の中で殉教したという核心部分は歴史的にもっともらしい事件ですが、その時のスピーチの逐語録や、天的ビジョンの場面は、歴史的記録というより信仰に基づく証言であり、神学的メッセージを込めた物語として受け止めるのが現在の主流の見方に近い」ということになりそうですね。
-
むむむ! 「神学的メッセージ」で告るいつものアレか?
この男は、 まったく、何も、わかってませんな!?
逐語風(ちくごふう)だとホンモノっぽいよね?

史的にもっともらしいのが、キリスト教の典型的な手段じゃな!
三位一体も、教理に基づく「セオリー」なんでしょ!?
そうじゃ、「キリスト教」の公式な教義じゃよ!
ええっ、

カテキズム(教理問答)にも、しっかり位置づけられているのよね!

何かにつけて「父と子と聖霊の御名によって」だからのぅ!

唯一の神が父と子と聖霊として自身を示す、キリスト教の中心教義よね!
そうやねんな!

父は子ではなく、子は聖霊ではなく、聖霊は父ではない! う~む (^▽^;)(^^ゞ
「核の冬の証拠はない」 gigazine.net
… to be continued !!
「聖書は『沈黙』を続ける神の言葉なのか?」 www.jw.org
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★ ダ・ヴィンチの推理は続きます。

































